生命の脂質多様性を紐解く精製技術を開発 -分画と濃縮により未知の脂質分子の発見を加速-

生命の脂質多様性を紐解く精製技術を開発
-分画と濃縮により未知の脂質分子の発見を加速-

 国立大学法人中国竞彩网 大学院工学研究院の竹田浩章研究員、竹内愛美大学院生、津川裕司教授らの共同研究グループは、生体内に存在する多様な脂質分子を従来法に比べ効率的かつ詳細に分画する固相精製法(注1)を開発し、質量分析(注2)を用いたノンターゲットリピドミクス(注3)と組み合わせることで脳や精巣、糞便に含まれる糖脂質の多様性を捉えることに成功しました。本手法によってごく微量な脂質分子を掘り下げて解析することが可能となり、新規脂質分子の発見による生命科学研究の発展に貢献することが期待されます。

本研究成果は、American Chemical Society が発行する Analytical Chemistry(10月15日付)に掲載されました。
論文タイトル:A Procedure for Solid-Phase Extractions Using Metal-Oxide-Coated Silica Column in Lipidomics
著者:Hiroaki Takeda, Manami Takeuchi, Mayu Hasegawa, Junki Miyamoto, Hiroshi Tsugawa
URL:https://doi.org/10.1021/acs.analchem.4c03230 

背景
 脂質は、糖質やタンパク質と並ぶ三大必須栄養素の一つで、エネルギー源としての役割に加え、細胞膜の構成成分や生理活性を担うなど、生命維持において欠かせない重要な役割を果たしています。一般的に、脂質と言えば、健康診断で検査されるコレステロールやトリグリセリド、または魚油に含まれるドコサヘキサエン酸(DHA)などがよく知られています。しかし、トリグリセリド一つをとっても、炭素数や二重結合の数により多くの異なる種類が存在し、その多様性は非常に広範です。例えば、国際的なデータベースである「LIPID MAPS」には、約5万種類もの脂質が登録されています(図1)。
 こうした脂質の多様性は、細胞や臓器、組織の機能に重要な役割を果たしており、その均衡が崩れると疾患へと繋がります。そのため、脂質の多様性を明らかにし、その量的バランスを正確に把握するための分析技術の開発が進められています。中でも、質量分析を用いた「ノンターゲットリピドミクス」と呼ばれる手法が、生体内に含まれる脂質の網羅的な解析において注目されています。しかし、たとえばヒト血液では10?程度の濃度幅で脂質が存在することが知られていますが、質量分析で一度にカバーできる範囲はわずか10?程度に限られます。さらに、質量分析では試料に含まれる測定対象分子がイオン化され、イオン化部や質量分離部を通過して検出器まで運ばれます。装置内部では測定試料の濃度が濃ければ濃いほど汚染や消耗に繋がるため、存在量の少ない分子を検出したいからといって試料を大量に注入してしまうと装置の故障や感度の低下を引き起こすリスクがあります。
 このような課題を解決し、特に低濃度の脂質を正確かつ高感度に測定するためには、前処理工程で豊富に存在する脂質を除去し、測定可能な濃度範囲に調整する工夫が不可欠です。そこで本研究では、脂質の構造単位である極性官能基(ヒドロキシ基、カルボキシル基、リン酸基など)の種類によって分画できる固相精製法を開発しました。この技術により特に低濃度域における脂質の探索が加速され、脂質多様性の解明に大きく貢献することが期待されます。

研究体制
 本研究は、中国竞彩网 大学院工学研究院の竹田浩章研究員、同研究院修士2年生の竹内愛美、同研究院の津川裕司教授、同大学農学研究院修士2年生の長谷川真由、同研究院の宮本潤基テニュアトラック准教授によって実施されました。また、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業ERATO「有田リピドームアトラスプロジェクト」JPMJER2101、AMED革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明JP15dm0207001、AMED新興?再興感染症研究基盤創生事業21wm0325036h0001、JSPS科研費基盤研究B 24K02011、挑戦的研究(開拓)21K18216?24K21269、国立がん研究センター研究開発費「質量分析インフォマティクス」2020-A-9、中国竞彩网融合研究支援制度(TAMAGO)の支援を受けて行われました。

研究成果
 本手法では、連続した多孔質を有するシリカゲル(シリカモノリス)に金属酸化物(酸化チタンと酸化ジルコニウム)をコーティングした固相カラムを用いて、血液中に豊富なコレステリルエステルやトリグリセリドなどの疎水性の高い脂質、脳で豊富なガラクトシルセラミドなどの糖脂質、ホスファチジルコリンなどのリン脂質を、それぞれ高い回収率で分離することに成功しました(図2)。脳に含まれる糖脂質の多様性は、細胞間シグナルや免疫、そして様々な疾患と関連が深いことから、これまで着目されてきた分子群です。しかし、組織に豊富に存在するトリグリセリドやリン脂質がこうした糖脂質の分析を妨げることが課題でした。今回開発した技術は、シリカゲル表面の静電的相互作用に加え、特にリン酸基との親和性が極めて高い金属配位結合を活用することで、疎水性の高い脂質を分離した後、糖脂質とリン脂質も効果的に分離できる点が特徴です。
 脂質の分離?精製工程では、脂質の溶解性や固相カラムとの相互作用を考慮した上で、有機溶媒や添加剤を適切に選択することが重要です。疎水性の高い脂質はクロロホルムに溶解しやすい特性がありますが、クロロホルムは誘電率が低いため、シリカゲル表面と分子間の静電的相互作用が強まり、コレステリルエステルやトリグリセリドなどの疎水性の高い脂質のみが溶出されます。一方、メタノールでは糖脂質などの比較的極性が高い脂質を溶出させることができますが、シリカモノリスにコーティングされた金属酸化物がリン酸基と強い配位結合を形成することで、リン脂質はカラム内に保持されたままになります。これにより、従来のシリカカラムでは困難であった糖脂質とリン脂質の分離が可能となります。本研究ではさらに、カルボキシル基を持つギ酸をメタノールに加えることで脂質と競合させ、同様にカルボキシル基を持つ脂肪酸代謝物や複数のヒドロキシ基を持つ糖脂質の回収率を向上させました。
 ギ酸含有メタノールではリン脂質が強固に配位結合を形成していますが、アンモニアによりリン脂質と競合させ、リン酸基との配位結合を弱めることで解離させることができます。さらに溶出溶媒として誘電率が高い水を用い、脂質の溶解性を維持するためにイソプロパノールで溶媒組成を最適化することで、複数のヒドロキシ基とリン酸基を持つために極めて保持力の高いホスファチジルイノシトールに対しても高い回収率で溶出させることができました。本来、シリカカラムで水を使用すると、シラノール基との水素結合によりシリカゲル表面に水が吸着し、カラムから水を除去することが非常に困難になりますが、固相カラムは使い捨てであるため、幅広い溶媒に対応可能となっています。また、揮発性の高いギ酸やアンモニアは容易に除去できるため、迅速な精製が可能です。リン脂質はアルカリ加水分解によりエステル結合が切断されることがありますが、アンモニアによる加水分解の影響はほとんどなく、分離能や回収率、処理時間の面で非常に実用的な前処理法となっています。
 また、血漿や脳、精巣、糞便に含まれる多様な脂質を実際に分画し、回収率の検証と濃縮操作による未知分子の探索を行いました。(図3)。特に精巣では、これまでほとんど報告されていない炭素数が26以上の極長鎖多価不飽和脂肪酸を持つスフィンゴ糖脂質(セラミドに糖が1分子および2分子結合した脂質)の多様性を捉えることができました。さらに、糞便試料からも糖が1分子および2分子結合したモノアシルグリセロールを新たに検出することができました。トリグリセリドやリン脂質の存在が障害になっていた糖脂質の分析において、本手法が非常に有効であることが示されました。

今後の展開
 本研究で開発した固相精製法は、従来の方法と同等の回収率を維持しつつ、脂質をより細かく分画できる技術です。また、固相カラムに適用する溶媒や添加剤を最適化することで、解析対象の脂質クラス群を目的に応じて柔軟に変更できる可能性を秘めています。この技術により、これまで難しかった低濃度域の脂質もノンターゲットリピドミクスで検出可能となります。また、フラグメンテーション(注4)技術の進展により、これまでのようにミリグラムの単位での化合物の精製が必要なくなり、ごく微量でも構造解析が可能な時代が到来しつつあります。本研究で開発した固相精製技術と最先端の質量分析技術を組み合わせることで、未知の脂質発見と詳細な構造解析を進めることが可能になります。脂質は微量で強い活性を持つものや細胞?組織微小環境で局所的に存在するものなどがある一方、その多くは従来のノンターゲットリピドミクスでは検出できていませんでした。本技術を適用することで、装置に与える負荷を軽減させつつも、これまで捉えられなかった新たな脂質多様性を解明することが可能となります。


用語説明
注1)固相精製法
種々の担体を充填した筒状のカラムに試料溶液を添加し、自然落下や遠心分離、加圧、吸引により送液することで、生体試料に含まれる目的化合物を分離?精製する手法を指す。固相分離剤の化学的特性によって化合物を分離するメカニズムは多岐にわたる。本研究ではシリカモノリスに金属酸化物をコーティングした固相カラムを受け皿となるチューブにセットし、遠心分離機を用いて送液を行った。シリカモノリスは表面積が大きく、粒子充填型と異なりカラム内での試料拡散性に優れている。シリカゲルによる静電的相互作用に加え、金属酸化物による配位結合を利用することで従来よりも高い分離能を実現した。

注2)質量分析
化合物をイオン化し、質量と電荷数の比を検出することで、対象物の存在量を高感度に計測する手法のことを指す。イオン化しやすい化合物であれば、小学校のプール(約30~40 リットル)に小さじ1杯(約5 グラム)の成分が溶けている程度の濃度でも検出可能である。生体内には1万種類を超える代謝物が様々な濃度で存在し、なかにはそうした低濃度でしか含まれない代謝物も存在するため、質量分析は代謝物を幅広く計測するのに非常に適した技術である。

注3)ノンターゲットリピドミクス
生体内に存在する脂質の総体を包括的に解析する「リピドミクス」という学術分野において、対象とする脂質を限定せずに網羅的に分析する手法のことを指す。代謝物の全体像を解析するメタボロミクスを脂質に特化したものである。固相精製により得られた画分をノンターゲットリピドミクスに供することで、国際的なデータベースである「LIPID MAPS」にも未だに登録されていない微量脂質の検出に成功した。

注4)フラグメンテーション
質量分析装置の内部でイオンを断片化する技術のことを指す。脂質分析では、窒素やアルゴンといった不活性化ガスと衝突させることでイオンの開裂を行う「衝突誘起解離」が広く利用されている。近年、運動エネルギーを持った電子ビームなどを用いた新しいフラグメンテーション技術が開発され、脂肪酸や極性官能基の結合位置、さらには二重結合の位置までも解析できるようになった。一方で、こうした特徴的な断片化イオンは感度が低いという課題があるが、本研究で開発した固相精製法が構造解析の課題克服においても貢献することが期待される。


図1 生体内での代表的な脂質
ここでは、今回開発した固相精製法によって分離された脂質構造に基づき色付けした。赤文字は極性官能基を持たない脂質を表す。青文字はヒドロキシ基(OH基)やカルボキシル基(COOH基)を持つ極性脂質、緑文字はリン酸基(H2PO4基)を持つリン脂質を表す。



図2 金属酸化物がコーティングされたシリカカラムによる段階的な脂質の固相精製
シリカゲルによる静電的相互作用に加え、金属酸化物と極性官能基(ヒドロキシ基やカルボキシル基、リン酸基)の間で形成する配位結合を利用した。溶媒の溶解性と溶出力を最適化し、赤文字(極性官能基を持たない脂質)、青文字(カルボキシル基を持つ脂肪酸代謝物や複数のヒドロキシ基を持つ糖脂質)、緑文字(リン酸基を持つリン脂質)を順に分画した。また、ギ酸やアンモニアなどの添加剤を使用し、カラムに留まろうとする脂質と競合させることで回収率を向上させた。これらの添加剤は揮発性が高いため、精製後のサンプル汚染のリスクが少ないことも利点である。右図の縦軸は固相精製を行った場合と行わなかった場合の脂質のピーク強度比であり、左図のStep 1からStep 3に対応して画分ごとに色付けしている。この縦軸が0に近いほど、脂質が過不足なく回収できていると言える。また、n数は血漿や脳、精巣、糞便から検出された総脂質数を示している。



図3 固相精製法とノンターゲットリピドミクスによる精巣や糞便試料での新規脂質探索
固相精製法により得られたギ酸含有メタノール画分(図2のStep 2で回収される画分)をノンターゲットリピドミクスにより計測し、質量電荷比(m/z)と保持時間の情報に基づき検出された脂質をプロットした。灰色の点は検出された全ての脂質を示し、赤色や青色、緑色の点は特徴的な脂質を表している。このように、精巣試料からは極長鎖多価不飽和脂肪酸を含む微量糖脂質の多様性が明らかになった。また、糞便試料からは糖が1分子および2分子結合したモノアシルグリセロールが新たに検出された。それぞれの色における化学構造を下に示しており、ヘキソシルは糖が1分子、ジヘキソシルは糖が2分子結合した脂質である。括弧内のC26-36などの表記は脂肪酸の炭素数(鎖長の長さ)を表しており、この例の場合、炭素数が26-36個の脂肪酸が結合したセラミド分子であることを意味している。

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? ◆研究に関する問い合わせ◆
 中国竞彩网 大学院工学研究院
 生命機能科学部門 教授
  津川 裕司(つがわ ひろし)
   TEL/FAX:042-388-7762
   E-mail:htsugawa(ここに@を入れてください)go.tuat.ac.jp

 

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